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子供のための歴史講座:日露戦争 終戦編

いや〜乱世乱世。時は1905年。日露戦争の終結に向けて話し合いが行われていた。
娘「戦争中に、仲直りの話をしたってこと?」
ポーツマス交渉団


その通り。戦争は始めるより終わらせる方が難しい。そこで日本はジャイアンのロシアと戦う前に、スネ夫に仲裁役を頼んでおいた。

娘「イギリスはドラえもんでしよ?スネ夫は誰?」

アメリカだ。開戦と同時にアメリカに仲裁役を依頼していたんだ。だから話し合いはアメリカのバージニア州ポーツマスで行われた。のび太がドラえもんの手を借りてジャイアンと喧嘩して、スネ夫の家で仲直りの話し合いをしたわけだ。

娘「一件落着!」

そう簡単じゃない。ロシアはバルチック艦隊を失って制海権を失い、朝鮮半島でも苦戦していたけど、まだ戦力は残っていた。一方、日本はイギリスに借りたお金は使い切っていたし、武器もほとんど残っていなかった。日本側の小村寿太郎は、ジリ貧なのを気付かれずに、何が何でもここで終戦に持ち込まないとダメだった。

ロシアの皇帝ニコライ二世は、「ロシアはまだ負けていない」と主張して、条件面で折り合わなかったら、すぐに進軍させる準備をしていた。そこでスネ夫のアメリカがロシアと交渉して、なんとか条約にサインすることになった。

娘「よくサインしたね」

ロシアの最低限の条件だった、賠償金はゼロにするというのを日本が飲んだんだ。戦争を続けられない日本としては、これを飲むしかなかった。ここでサインされた条約をポーツマス条件という。
ポーツマス条約


娘「とにかく戦争が終わって良かった」

当時の日本国民は、そうは思わなかったんだ。日本国民はヨーロッパ列強と戦うために、高い税金を我慢して払っていたし、家族を戦争に取られることも我慢した。ところが終わってみると、賠償金が全くもらえないので、日本にはイギリスへの借金が残った。

娘「でも、これ以上続けたら日本も危ないんでしょ?」

もう戦争を続けられないんです、なんて日本が言ったらロシアが戦争を再開するかもしれないから、日本政府は「お金のために戦争したわけじゃないんだよ」と言った。だから「ふざけるな」と、大勢が怒りだした。

日比谷公園に人々が集まって、ポーツマス会議に出た小村寿太郎を批判する集会を始め、暴徒になって警官隊と衝突したんだ。首相官邸や内務大臣官邸は、刀を持った暴徒に襲われ、東京内の交番が焼かれ、2000人以上が逮捕されて17人が死亡した。

娘「日本もムチャクチャだったんだ」

この事件は、政府に終戦の難しさを植え付けることになったし、後の太平洋戦争にも大きな影響を与えた。いろんな意味で、後々まで影響を与えた戦争だったんだよ。
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子供のための歴史講座14:日露戦争開戦編

いや〜乱世乱世。時は20世紀初頭。日本国内ではロシアと戦争するぞ!と叫んでいた小村寿太郎たちと、戦争は負けるからダメと言っていた伊藤博文らとの間で揉めていた。そして世論も割れて、戦争か回避かで揺れていた。さらに明治天皇は、戦争に消極的だった。
小村寿太郎
※小村寿太郎

娘「なんで戦争になるの?」

戦争するにしてもしないにしても、ロシアの圧力がすごくて日本は危機に陥っていた。そこで参戦派と回避派が会議をして、これこれの要求が通らなければ戦争も仕方ないというつもりで交渉すると決まった。

娘「だけど、通らなかった?」

そう、だからもう戦争しかないとなった。嫌がる明治天皇に、伊藤博文は最後は私もライフルを担いで戦いますと言って、天皇は折れたんだ。そして開戦になる。どころが大変なことが起こる。

娘「なに?」

日本は何年もかけて、鉄砲の弾を作っていたんだ。これだけあれば1年は戦えるって思っていたら、1日で半分くらい使ってしまった。さらに兵隊さんは、いざとなると怖くなって逃げ出す人も出てきた。

娘「ダメじゃん」

海軍は遼東半島の旅順にいるロシア艦隊を奇襲攻撃したけど、大砲があまり当たらなかった!

娘「下手じゃん!」
旅順港
※旅順港

さらに旅順港の近くに古い船を沈めて、港から出られなくしようとしたけど失敗した!

娘「グダグダじゃん!」

陸軍の乃木希典は、旅順港の裏にある二〇三高地の要塞めがけて突撃を繰り返し、15000人以上の兵隊が死んだ。
二百三高知
※二○三高知

娘「もうムチャクチャ!」

どころが、乃木希典は要塞を攻略した。さらに海軍は最強と言われたバルチック艦隊を日本海で破った!

娘「どんなミラクルがあったの?」

それぞれの戦いは長くなるから、また別の機会に話すよ。とにかく朝鮮半島付近で、日本は勝利したのでロシアの旗色が悪くなった。さらにロシア国内では革命の気配もあって、戦争を続けるのが難しくなった。

娘「それで勝ったの?」

この戦争の結末は、また次回ね。





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子供のための歴史講座13:日露戦争開戦前編

いや〜乱世乱世。時は20世紀初頭。日本とロシアの戦争で、なんと日本が勝ってしまったのだ。近代史の中でも、割と重要な戦争だあら覚えておくように!
日露戦争


娘「ロシア相手って、ムチャしすぎ」

その通り!かなりムチャな戦争だった。しかし戦わなくてはならない理由があったわけだ。

娘「なんで?」

話は日清戦争にさかのぼる。日本が清、つまり今の中国と戦争して勝った。清の国力が弱ってきたところに、ヨーロッパの列強が押し寄せてきた。

娘「なんで?」

これまでヨーロッパ列強は、アフリカ大陸に進出して、現地のものを安く買い叩いてヨーロッパで高値で売って大儲けしていた。アフリカはヨーロッパの国々で大渋滞だ。そこで次に目をつけたのがアジアだ!

娘「お金儲けのためなの?」

今も昔も、お金儲けは争いの元なんだよ。清は帝国で軍隊もいる。アフリカの部族のように簡単には勝てないと思っていたら、日本が勝ってしまった。「なんだ、清って弱いじゃん」」となって、各国が清に押し寄せてきたんだ。

娘「だから日本もロシアも参加したの?」

その通り!日本は近代化が忙しかったから、周回遅れで参加したし、ロシアも出遅れていた。ロシアは清に迫ると同時に、日本が日清戦争で獲得した遼東半島を清に返還するように、フランス・ドイツと手を組んで迫った。これを三国干渉という。ちなみに遼東半島は、ここね。
遼東半島

娘「小さっ!こんな所が大事なの?」

ロシアの港は大半が冬に凍ってしまうから、太平洋側に凍らない港が必要だったんだ。

娘「え?清に返すんでしょ?」

清のものは俺のものって、ロシアは考えていたんだ。

娘「ジャイアンだ!」

そう、ジャイアンのロシアは、遼東半島に軍艦を帰港させた。さらに義和団事件をきっかけに、中国北部に軍隊を置いて、清を奪いにかかっていた。のび太のような日本は、ジャイアンには敵わない。しかしドラえもんが現れる!

娘「誰?」

イギリスだ。イギリスもロシアの拡大を嫌っていて、日本と手を結ぶことにした。ここに日英同盟が結ばれる。ドラえもんが来た以上、ジャイアンも警戒して、軍隊を引き上げる約束をするけど、なんだかんだで引き上げない。交渉は行き詰まり、朝鮮半島にはロシアの海軍がいる。これは危険だということになった。

娘「だから戦争するの?」

しかしお金がない。鉄砲の弾だってタダじゃないし、戦争にはお金がかかるんだ。そこでのび太はドラえもんのイギリスに相談すると、ドラえもんは貸してくれた!
日英同盟

娘「えー!ドラえもんにお金を借りるの??」

そうだ!なにせ当時のイギリスは世界最強の軍隊を持って、世界一のお金持ち国家だからね。のび太が頼れるのはドラえもんしかいないのだ。

長くなったから、この話の続きは明日にしよう。




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村田諒太の世界戦雑感

WBAミドル級の正規王座を賭けて、村田諒太とアッサン・エンダムの試合は、2−1のスプリット・デジションでエンダムの勝利となりました。この結果に会場は驚きの声が上がり、ネットにも結果に納得できないという声が多数書き込まれています。
村田対エンダム


1R、足を使うエンダムに、村田はほとんど手を出さずに終えます。相手の動きを見て、体力を温存しつつ相手を疲れさせ、後半勝負というプランだったのでしょう。これは世界戦で、12Rの試合は村田にとって初体験です。それなのに初回を相手にプレゼントする作戦は、かなりギャンブル性の高いものでした。

10ポイント・マスト・システム(どちらかの選手に必ずポイントをつけて、同点にしない)では、今回の村田のようにガードを固め、あまり手を出さないスタイルは判定では不利です。ダウンを奪えず、目立った有効打がない場合、リング・ジェネラルシップ(主導権支配)でポイントを奪われてしまう可能性が高いからです。今回の村田のようなスタイルは、特に世界戦ではKOしなければ勝つのは難しいのです。

村田がダウンを奪った4Rや、右ストレートでダウン寸前まで追い込んだラウンドは確実に村田がとっていますが、1〜3Rまではエンダムがとったラウンドでした。8〜12Rまでは、有効打をとるか手数をとるか、ジャッジの判断によってどちらに行っても不思議ではないラウンドでした。そして3人のジャッジのうち、2人が手数をとったということです。
ジャッジペーパー(村田対エンダム)
ジャッジペーパー(クリックして拡大)
※左の紙は、勝利者の名前を書き間違えていますね。

試合の印象と判定結果が真逆になるのは、10ポイント・マスト・システムではよくあることです。どちらも優位に運べず、素人目には引き分けのラウンドでも10-9をつけるので、ダウンを奪った選手が大差の判定負けになることは珍しくありません。日本で判定に対して不満が出る試合の大半が、このシステムによるものです。ですので今回の判定も、さほどおかしな判定とは言えないと思います。今回の村田の敗因は、判定がどうこうというより、あのスタイルで倒しきれなかったことが最大の要因ではないでしょうか。


深刻なのは、今後の村田のプランです。現在ミドル級は、ゲンナジー・ゴロフキンが主要3団体の世界王座に君臨し、WBOはビリー・ジョー・ソーンダースが王座に就いています。そして最も人気があるのは、現在は無冠のサウル・アルバレスです。ミドル級の最大の話題は、ゴロフキンとアルバレスの対決に関してです。
ミドル級の主役たち
右:ゲンナジー・ゴロフキン 中央:サウル・アルバレス 左:ビリー・ジョー・ソーンダース

ゴロフキンの前には挑戦者が列を作って並び、村田がその列に入り込むことはビジネス的に不可能です。そこでこれまでは、ソーンダースとの試合を模索していました。しかしソーンダースもゴロフキンとの統一選を熱望していて、村田との試合には後ろ向きです。そこでWBAがスーパー王者のゴロフキンとは別に設けている正規王者のタイトルを巡って、今回の村田の挑戦が実現したのです。

原則的にリターンマッチは禁止されているので、エンダムとの再選は難しいです。ゴロフキンとの対戦は絶望的ですし、仮に実現したとしても現状では勝てる可能性がほとんどありまえん。そしてソーンダースが否定的となれば、村田の世界挑戦の道は険しいものになってしまいました。

今回の敗戦は、とても大きいものです。今後の村田の動向に、注目したいと思います。

007の権利問題を整理する その3

前回からの続きです。

3.ソニーの参加
2004年に投資家のカーク・カーコリアンは、MGM/UAの株式20%をソニー主導の投資家グループに売却し、007の権利にソニーが参加します。ソニーはMGM/UAの大規模リストラなどを画策しますが、MGM側が大反発して独自路線を歩みだし、さらなる混乱が起こります。こうしたゴタゴタを経て2010年にMGMは破産し、「007 スカイフォール」の公開が無期限延期という異常事態に陥りました。
カーク・カーコリアン
カーク・カーコリアン ラスベガスに貢献した人物として知られています。

MGMの破産法申請の結果、スパイグラス・エンターテーメント(シックス・センスなどを製作した会社)の支援を受けて、再建することになりました。007シリーズは、借金だらけのMGMの再建のために、重要度を増しています。またこれに伴い、007シリーズのソニーの権利は「007 スペクター」で終了しました。
スパイグラス・エンターテーメント
スパイグラス・エンターテーメントのロゴ

次回作は、資金難のMGMは十分な資金が用意できないため、製作権を競売にかけることになっています。イオン・プロダクション(EP)とMGM、そして競売に勝ったスタジオが参加する予定で、複数社が名乗りをあげて権利の争奪戦が始まっています。

ここまで振り返ると、イアン・フレミングの軽率な無断借用がなければ、スペクターの件で揉めたりしなかったと思いますし、サルツマンが一時の感情でUAに売却しなければ、製作が途絶えることもなかったと思います。しかし、これらの騒動により多くの人が参加して新しい血が流れ込んだことで、007が生きながらえた面もあるはずです。

ダニエル・クレイグの降板も噂される中、次回作がどのような形で発表されるのか、まだ誰にもわからない状況です。

007の権利問題を整理する その2

前回からの続きです。

2.ユナイテッド・アーティスツへの売却

イオン・プロダクション(以下EP)の共同プロデューサー、ハリー・サルツマンは娯楽要素を追求し、コメディ映画になっていた007に嫌気がさし、「黄金銃を持つ男」を最後にプロデューサーの降板を表明します。これはもう1人のプロデューサー、アルバート・ブロッコリにとっても寝耳に水の話でした。
イオン・プロダクション
イオン・プロダクションのロゴ


ブロッコリは説得を続けますがサルツマンは耳を貸さず、それどころか自身が持つ映画化の権利をブロッコリではなく、映画スタジオのユナイテッド・アーティスツ(以下UA)に売却してしまいます。これにより007の映画化の権利は、EPとUAの2社が保有することになりました。
ユナイテッド・アーティスツ
ユナイテッド・アーティスツのロゴ

これまでEPが主導してきた007は、UAとの共同作業になります。しかしUAは80年の「天国の門」で記録的な赤字を計上し、倒産の危機に追い込まれます。そのUAを救ったのが、別の映画スタジオMGMでした。UAは吸収されMGM/UAとして再出発をします。しかしこれもMGMの資金難で、すぐに暗礁に乗り上げます。
MGM/UA
MGM/UAのロゴ

経営危機のMGM/UAを買収したのかが、ターナー・ブロードキャスティング・システム(TBS 現在のタイム・ワーナー)で、この時に多くの映画の版権が整理、移管されます。しかしTBSのメインバンクが、巨額の負債を抱えるMGM/UAの買収に難色を示し、買収から2ヶ月ちょっとでMGMの経営に関与していた投資家のカーク・カーコリアンに売却されてしまいました。さらにカーコリアンは、負債を返済するためにMGM/UAの資産をバラバラに、あちこちに売却していきます。

この混乱で、多くの映画の版権が誰のものか不透明になってしまいました。もう問題は007シリーズだけにとどまらず、「ロッキー」シリーズ、「ポルターガイスト」シリーズなど約4000本の映画の権利も曖昧になってしまいました。特にTBSとMGM/UAの間で、どの映画のどの版権をどちらが所有しているかが問題になり、双方の弁護士が多大な時間をつぎ込んで調整と交渉に挑みました。

この影響で、007シリーズは、「消されたライセンス」以降、6年間も製作されませんでした。EPは、サルツマンがUAに売却した半分の映像化権のために、映画の製作ができなくなったのです。95年に再びカーコリアンがMGM/UAの社長に就任し、権利問題の整理がついたところで、007シリーズもピアーズ・ブロスナンが登板した「ゴールデンアイ」から再開されました。

次回が最終回です。

007の権利問題を整理する その1

イアン・フレミングの小説007シリーズは、映画化されて世界的なヒットを記録しますが、映画化の権利問題がややこしくなっています。どれだけややこしいのか、それを解説したいと思います。

1.サンダーボール作戦訴訟

イアン・フレミングは、007の映像化権利を、安値で複数に売却しています。その中に、アルバート・ブロッコリとハリー・サルツマンがいました。両者は互いが持つ映像化権利を買い取ろうとしますが、映像化に掛かる費用を捻出するため、紆余曲折を経て共同で映像化することになりました。これがイオン・プロダクション(以下EP)の設立につながります。
アルバート・ブロッコリとハリー・サルツマン
左:アルバート・ブロッコリ 右:ハリー・サルツマン

EPは映画「007 ドクター・ノオ」を成功させ軌道にのると、次々と007の映画化に着手します。これに気を良くしたフレミングは、自らが映画化することを目論んで、友人達とザナドゥ・プロダクションを設立します。この時、映画作家のケビン・マクローリーが中心となって、いくつかの映画用の脚本が作られました。しかしザナドゥを不安視したフレミングは、一方的にこの契約を解消してしまいます。

フレミングはこのマクローリーらのアイデアを無断で使用して、「サンダーボール作戦」を書き上げて発表してしまい、マクローリーらから訴えられることになります。63年にマクローリーが勝訴すると、映画「サンダーボール作戦」のクレジットにはマクローリーの名前も入れられました。これで一旦は決着したかに見えました。
007 サンダーボール作戦
007 サンダーボール作戦のポスター

この問題が尾をひくのは、マクローリーのアイデアに、犯罪組織スペクターと、その首領ブロフェルドが含まれていたことです。他の作品にもスペクターやブロフェルドが登場したことにマクローリーは憤慨し、差しどめの要求が出され、「ダイヤモンドは永遠に」以降、スペクターは登場しなくなりました。この問題で和解が成立したのは、なんと2006年でした。

「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」は、マクローリーが、「サンダーボール作戦」をリメイクしたものです。EPとの約束で、10年間はマクローリーが映画化しないと決められていたので、10年を過ぎてから映画化の動きが始まったものです。しかし内容を巡って再びEPと訴訟になり、紆余曲折を経て完成しました。
ネバー・セイ・ネバー・アゲイン
ネバー・セイ・ネバー・アゲインのポスター

ちなみに製作したのはタリア・フィルムで、本作の制作者ジャック・シュワルツマンの会社です。社名は妻のタリア・シャイア(ロッキー・シリーズのヒロイン、エイドリアンが有名)から名付けられました。

それはともかく、ショーン・コネリーの復活で話題をさらったものの、同年公開の「007 オクトパシー」には興行成績で負けています。

次回に続きます。

レオ・フェンダーはなぜギターを大量生産したのか

フェンダー・ラジオ・サービスというラジオの修理会社を経営していたレオ・フェンダーが、ギターの製作を始めたのは1940年代でした。そして1949年にエスクワイア、そして1950年にはエスクワイアを改造したブロードキャスターというエレキギターを発売します。これが後のポップミュージックの歴史に大きな影響を与えることになります。
フェンダー


電気でギターの音を増幅するエレキギターという発想は、当時多くの人が研究していました。しかし商業ベースに乗せることができたのはレオ・フェンダーが最初でした。大音量で演奏してもハウリングを起こさないように、ギターの空洞をなくしたソリッド(1枚板)構造なのが最大の特徴ですが、もう一つはギターのネックがボディにボルトで止められているのも大きな特徴でした。

メンテナンス製と生産性の向上を図ったためですが、レオ・フェンダーはネックの振動も計算してボルト止めの方法も何度も検証していたようです。ここで気になるのは、生産性の向上を図った点です。1950年当時のギターは、ミュージシャンという限られた職業の人の中で、ギターリストというごくごく一部の人のために作られていました。

音楽の勉強をすることもなく、楽譜も読めない若者がギターを買うためにお金を貯めるようになるのは、1962年にビートルズがデビューしてバンドブームが起こってからです。ロックンロールは1954年のビル・ヘイリーが発表した「ロック・アラウンド・ザ・クロック」から始まったといわれます。バンドがブームになる前どころか、ロックンロールが芽吹く前にレオ・フェンダーはギターの大量生産を視野に入れていたことになります。

職人がギターを1本1本手作りで作っていた50年代は、ネックとボディを接着する方式でも良かったのですが、工場で大量生産する70年代に入ると、ボディとネックを別に製造できるのは大きなメリットになりました。さらに大量に舞い込むメンテナンスも容易で、フェンダー社は新興企業ながら大きなアドバンテージを得ることができました。

レオ・フェンダーは、憧れだけでギターを買う若者が増える未来を予見できていたのでしょうか?フェンダー社のブロードキャスターは、60年以上経った今でもテレキャスターという名前で販売されています。電気回路は変わりましたが、ほとんどの設計がそのままというのも驚かされます。そして60年代にはストラトキャスターというロックの歴史を塗り替えるギターを発表するのですが、その話はまた別の機会にしたいと思います。

ニュースを見るための銃の基礎知識

ニュースを見るのに、銃の知識はなくても構いません。しかし少しだけ銃の知識があると、ニュースをより深く知ることができることがあります。例えば餃子の王将の社長射殺事件で、「凶器は25口径の自動拳銃」と聞いた時に、あれ?っと思えるのです。そういったわけで、少しだけ銃の知識に関して書いてみたいと思います。
handgun


拳銃にはさまざまなサイズがあります。一般的なサイズ表記は、使用される弾の直径や銃身の内径でしょう。22口径や38口径という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。これは38口径は直径が0.38インチという意味で、約9mmになります。ですから数字が大きくなるほど、大口径になるというわけです。

ここでややこしいのは、アメリカではインチ表記なのにヨーロッパはメートル法が使われることです。そのため7.65mmなんて表記もあったりします。これが混乱の元凶なのですが、どちらの表記も数字が大きくなれば大口径になると覚えておけばいいと思います。そして例外も多くありますが、一般的に大口径になるほど殺傷力が上がります。

テレビドラマなどでは、22口径の銃は玩具のように言われます。現実世界でも「殴るよりはマシ」という声もありますが、実際には22口径が最も多く売られています。護身用の拳銃から狩猟用のライフルまで、22口径が最も多く使われているのです。日本でも浅間山荘事件で犯人グループが使っていたライフルが22口径でした。

先ほど書いた、餃子の王将の社長の狙撃事件ですが、25口径というのは珍しい銃です。1940年代までは多く製造されていましたが、近年ではあまり見られません。25口径が撃てる拳銃の新製品は皆無です。なぜそんな珍しい拳銃を使用したのでしょうか?少しだけ拳銃に詳しいと、そういった疑問が出てくるのです。

かつて日本の暴力団は、フィリピンなどで作られた安価な銃を密輸していました。しかし近年ではロシアのトカレフやマカロフの中国製が出回るようになり、一部には米軍が採用していたイタリアのベレッタ社の銃もあるようです。これらの銃は7.62mmや9mmで、これまでのフィリピン製の38口径とは見た目も性能も全く異なります。

昨年、和歌山の建設会社で起きた銃による殺傷および立てこもり事件では、犯人がコルト社の45口径の自動拳銃とオーストリアのステアー社のGBという38口径の拳銃を使用しました。暴力団でもない一般市民が、本格的な軍用拳銃を使用して犯行に及んだ事実は、関係者に大きな衝撃を与えたようです。

国内、国外で銃を使った事件が起こった時には、こうした銃器も見ておくと興味深い点に気がつくかもしれません。

セイコーの挑戦と苦悩の物語05

前回からの続きです。

第二精工舎デザイン室に中途入社した田中淳は、制限の多い機械式時計のデザインには、全く興味がありませんでした。しかし88年にスイスのバーゼルで行われた時計の見本市で、にわかに機械式時計が気になり始めます。スイスの時計業界は、機械式時計で復活の狼煙を上げていたのです。
田中淳
田中淳

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プロフィール

井上 毅

Author:井上 毅
はねもね
福岡県出身
東京都在住
以前やっていたブログ「はねもねの独り言」の続編です。

外資系金融機関に勤めながら、あちこちに出没しています。

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