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村田諒太の世界戦雑感

WBAミドル級の正規王座を賭けて、村田諒太とアッサン・エンダムの試合は、2−1のスプリット・デジションでエンダムの勝利となりました。この結果に会場は驚きの声が上がり、ネットにも結果に納得できないという声が多数書き込まれています。
村田対エンダム


1R、足を使うエンダムに、村田はほとんど手を出さずに終えます。相手の動きを見て、体力を温存しつつ相手を疲れさせ、後半勝負というプランだったのでしょう。これは世界戦で、12Rの試合は村田にとって初体験です。それなのに初回を相手にプレゼントする作戦は、かなりギャンブル性の高いものでした。

10ポイント・マスト・システム(どちらかの選手に必ずポイントをつけて、同点にしない)では、今回の村田のようにガードを固め、あまり手を出さないスタイルは判定では不利です。ダウンを奪えず、目立った有効打がない場合、リング・ジェネラルシップ(主導権支配)でポイントを奪われてしまう可能性が高いからです。今回の村田のようなスタイルは、特に世界戦ではKOしなければ勝つのは難しいのです。

村田がダウンを奪った4Rや、右ストレートでダウン寸前まで追い込んだラウンドは確実に村田がとっていますが、1〜3Rまではエンダムがとったラウンドでした。8〜12Rまでは、有効打をとるか手数をとるか、ジャッジの判断によってどちらに行っても不思議ではないラウンドでした。そして3人のジャッジのうち、2人が手数をとったということです。
ジャッジペーパー(村田対エンダム)
ジャッジペーパー(クリックして拡大)
※左の紙は、勝利者の名前を書き間違えていますね。

試合の印象と判定結果が真逆になるのは、10ポイント・マスト・システムではよくあることです。どちらも優位に運べず、素人目には引き分けのラウンドでも10-9をつけるので、ダウンを奪った選手が大差の判定負けになることは珍しくありません。日本で判定に対して不満が出る試合の大半が、このシステムによるものです。ですので今回の判定も、さほどおかしな判定とは言えないと思います。今回の村田の敗因は、判定がどうこうというより、あのスタイルで倒しきれなかったことが最大の要因ではないでしょうか。


深刻なのは、今後の村田のプランです。現在ミドル級は、ゲンナジー・ゴロフキンが主要3団体の世界王座に君臨し、WBOはビリー・ジョー・ソーンダースが王座に就いています。そして最も人気があるのは、現在は無冠のサウル・アルバレスです。ミドル級の最大の話題は、ゴロフキンとアルバレスの対決に関してです。
ミドル級の主役たち
右:ゲンナジー・ゴロフキン 中央:サウル・アルバレス 左:ビリー・ジョー・ソーンダース

ゴロフキンの前には挑戦者が列を作って並び、村田がその列に入り込むことはビジネス的に不可能です。そこでこれまでは、ソーンダースとの試合を模索していました。しかしソーンダースもゴロフキンとの統一選を熱望していて、村田との試合には後ろ向きです。そこでWBAがスーパー王者のゴロフキンとは別に設けている正規王者のタイトルを巡って、今回の村田の挑戦が実現したのです。

原則的にリターンマッチは禁止されているので、エンダムとの再選は難しいです。ゴロフキンとの対戦は絶望的ですし、仮に実現したとしても現状では勝てる可能性がほとんどありまえん。そしてソーンダースが否定的となれば、村田の世界挑戦の道は険しいものになってしまいました。

今回の敗戦は、とても大きいものです。今後の村田の動向に、注目したいと思います。
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レオ・フェンダーはなぜギターを大量生産したのか

フェンダー・ラジオ・サービスというラジオの修理会社を経営していたレオ・フェンダーが、ギターの製作を始めたのは1940年代でした。そして1949年にエスクワイア、そして1950年にはエスクワイアを改造したブロードキャスターというエレキギターを発売します。これが後のポップミュージックの歴史に大きな影響を与えることになります。
フェンダー


電気でギターの音を増幅するエレキギターという発想は、当時多くの人が研究していました。しかし商業ベースに乗せることができたのはレオ・フェンダーが最初でした。大音量で演奏してもハウリングを起こさないように、ギターの空洞をなくしたソリッド(1枚板)構造なのが最大の特徴ですが、もう一つはギターのネックがボディにボルトで止められているのも大きな特徴でした。

メンテナンス製と生産性の向上を図ったためですが、レオ・フェンダーはネックの振動も計算してボルト止めの方法も何度も検証していたようです。ここで気になるのは、生産性の向上を図った点です。1950年当時のギターは、ミュージシャンという限られた職業の人の中で、ギターリストというごくごく一部の人のために作られていました。

音楽の勉強をすることもなく、楽譜も読めない若者がギターを買うためにお金を貯めるようになるのは、1962年にビートルズがデビューしてバンドブームが起こってからです。ロックンロールは1954年のビル・ヘイリーが発表した「ロック・アラウンド・ザ・クロック」から始まったといわれます。バンドがブームになる前どころか、ロックンロールが芽吹く前にレオ・フェンダーはギターの大量生産を視野に入れていたことになります。

職人がギターを1本1本手作りで作っていた50年代は、ネックとボディを接着する方式でも良かったのですが、工場で大量生産する70年代に入ると、ボディとネックを別に製造できるのは大きなメリットになりました。さらに大量に舞い込むメンテナンスも容易で、フェンダー社は新興企業ながら大きなアドバンテージを得ることができました。

レオ・フェンダーは、憧れだけでギターを買う若者が増える未来を予見できていたのでしょうか?フェンダー社のブロードキャスターは、60年以上経った今でもテレキャスターという名前で販売されています。電気回路は変わりましたが、ほとんどの設計がそのままというのも驚かされます。そして60年代にはストラトキャスターというロックの歴史を塗り替えるギターを発表するのですが、その話はまた別の機会にしたいと思います。

セイコーの挑戦と苦悩の物語05

前回からの続きです。

第二精工舎デザイン室に中途入社した田中淳は、制限の多い機械式時計のデザインには、全く興味がありませんでした。しかし88年にスイスのバーゼルで行われた時計の見本市で、にわかに機械式時計が気になり始めます。スイスの時計業界は、機械式時計で復活の狼煙を上げていたのです。
田中淳
田中淳

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セイコーの挑戦と苦悩の物語04

前回からの続きです。

会社の迷走が決定的になるのは1987年といわれています。企画に寄りがちな社内において、製造部門の重要性を認めていた2人の役員が相次いで亡くなったのです。第二(当時の社名はセイコー電子工業)と諏訪(当時の社名はセイコーエプソン)の社長を兼任していた服部一郎が5月に、服部セイコーの会長だった服部謙太郎が9月に相次いで亡くなると、謙太郎の弟の服部礼次郎に権力が集中しました。
服部礼次郎
※服部礼次郎

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子供のための歴史講座:09アンドリュー・ジャクソン

やあ〜乱世乱世。時は1830年、場所はアメリカ。日本はまだ江戸時代で、大塩平八郎の乱が数年後に起こる頃だ。アメリカでは「バカ」と呼ばれたアンドリュー・ジャクソンが大統領に就任した!
アンドリュー・ジャクソン

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セイコーの挑戦と苦悩の物語03

天文台コンクールの中止に声を荒げて抗議した第二精工舎の久保田浩司は、それから数年後に新しい任務が与えられます。クオーツ時計の開発です。クオーツ時計では諏訪が先行していたため、久保田は第二のプライドを賭けて、クオーツ時計の開発を命じられたのです。
久保田浩司
※久保田浩司

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セイコーの挑戦と苦悩の物語02

前回からの続きです。

1962年、第二と諏訪のセイコーグループは、時計業界で世界最高の権威を持つスイスの天文台コンクールに、参加の打診をします。これは2年後に迫る東京五輪をにらみ、セイコーブランドを世界に発信したい狙いがあったからです。63年に、まず諏訪がニューシャテル天文台コンクールに参加し、翌年には第二も参加しました。
セイコー・ホールディングス
※セイコー・ホールディングス

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セイコーの挑戦と苦悩の物語01

「なんとかします」
「重城くん、なんともならないんでしょ?」

1998年の夏の終わり、セイコーの設計士の重城幸一郎は部長に何を言われても「なんとかします」の一点張りでした。セイコーの最高級機械式腕時計「グランド・セイコー」の復活のために設計士に抜擢された重松は、入社7年目の若手社員でした。その重松が自ら決めたグランド・セイコーの精度基準をクリアできず、グランド・セイコーは頓挫しつつあったのです。
重城幸一郎
※重城幸一郎の近影

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未解決事件:富田の股割れ

未解決事件の話題です。一見、数多い失踪事件の一つに思えたのですが、この怪文書が送られてきたことで注目を集めました。いたずらなのか、犯行を知るものが書いたのか、謎のままです。

事件は1991年3月に、三重県四日市市富田で起こりました。加茂前ゆきちゃん(8歳)が、忽然と姿を消しました。自宅にはゆきちゃんが大好きなココアの飲みかけが暖かいまま残っており、出かける時にいつも着るジャンパーも、自転車も残っていました。何の手掛かりもないまま3年が過ぎ、加茂前さん宅に手紙が送られてきます。
加茂前ゆき
※加茂前ゆきちゃん

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江戸の性風俗

現在の恋愛や純愛は、明治以降にヨーロッパから輸入されたものですか、では江戸時代はどんな恋愛の形があったのかを解きほぐす本です。「昔は良かった」的な流れもありますが、タイトルほど過激でもなく、下世話趣味にもならずにまとめられています。
江戸の性風俗

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プロフィール

井上 毅

Author:井上 毅
はねもね
福岡県出身
東京都在住
以前やっていたブログ「はねもねの独り言」の続編です。

外資系金融機関に勤めながら、あちこちに出没しています。

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