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セイコーの挑戦と苦悩の物語01

「なんとかします」
「重城くん、なんともならないんでしょ?」

1998年の夏の終わり、セイコーの設計士の重城幸一郎は部長に何を言われても「なんとかします」の一点張りでした。セイコーの最高級機械式腕時計「グランド・セイコー」の復活のために設計士に抜擢された重松は、入社7年目の若手社員でした。その重松が自ら決めたグランド・セイコーの精度基準をクリアできず、グランド・セイコーは頓挫しつつあったのです。
重城幸一郎
※重城幸一郎の近影


重城の引いた図面を元に組み上げチェックしていた調整士の大平晃は、このままでは11月の発売に間に合わないと判断し、重城を連れて部長に進言しに来ていました。グランド・セイコーは24年ぶりの復活となるため、すでにキャンペーンが打たれていて引くに引けない状態でした。大平は部長に深々と頭を下げ、時計の中心的部品である「ひげぜんまい」に重りをつけて検査させて欲しいと言ったのです。

重りをつけるのは、かつて大平がスイスのクロノメーター試験をパスするために使った苦肉の策で、熟練の調整士にしかできない技でした。何も聞かされていなかった重城は驚きつつ、賛成しようとする部長に待ったをかけました。

「それだけはダメです。なんとかします」
「なんともならないから、大平さんが手を尽くしてくれてるんですよ」

重城にもそれはよくわかっていました。精度を出すには、ひげぜんまいの長さや重さ、厚さに加えて他の部品との間隔など無限に近い組み合わせの中から最適解を探す必要がありました。重城は何度も大平の元を訪れ、何度も改良していく中で、まだ試していない組み合わせがあり、最適解に近づいていると感じていました。それは論理的ではなく、技術者の直感に近いものでしたが、手応えはありました。だから何を言われても「なんとかします」で押し通したのです。

最後の最後に来てグランド・セイコーは苦境に立たされていましたが、そもそもグランド・セイコーの復活は当初から困難な道のりでした。そしてこの時、セイコー自体が苦難に直面していました。ですからグランド・セイコーが暗礁に乗り上げたのは、象徴的な出来事だったのかもしれません。
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プロフィール

井上 毅

Author:井上 毅
はねもね
福岡県出身
東京都在住
以前やっていたブログ「はねもねの独り言」の続編です。

外資系金融機関に勤めながら、あちこちに出没しています。

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