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セイコーの挑戦と苦悩の物語02

前回からの続きです。

1962年、第二と諏訪のセイコーグループは、時計業界で世界最高の権威を持つスイスの天文台コンクールに、参加の打診をします。これは2年後に迫る東京五輪をにらみ、セイコーブランドを世界に発信したい狙いがあったからです。63年に、まず諏訪がニューシャテル天文台コンクールに参加し、翌年には第二も参加しました。
セイコー・ホールディングス
※セイコー・ホールディングス

結果は両社とも合格機がゼロという散々な結果でしたが、この年にはセイコーは東京五輪公式時計として世界にブランド名を発信しています。こうなると、是が非でも天文台コンクールで勝ちたいという意欲が芽生えてきました。

第二は設計部門に小牧昭一郎、久保田浩司を配し、調整師には小池健一、そして手に汗をかかない体質で調整師の申し子といえる中山きよ子など、後に伝説となる社員達で挑みました。その結果、天文台コンクールの順位はグングン上がり、ついに67年には第二が4位につけます。
小牧昭一郎久保田浩司
※左:小牧庄一郎 右:久保田浩司

そして68年、諏訪が67年に優勝したオメガの点数を大幅に超えるスコアを叩き出しました。この時、スイスのブランドはクオーツ式時計を出品していましたが、スイスのクオーツを諏訪の機械式が追い抜いたのです。そして不可解ながら、天文台コンクールは中止が決定します。
コンクール出品ムーブメント
※コンクール出品時計

第二では、設計課長の久保田が大声で電話で抗議したそうです。温和な久保田が声を荒げるのは滅多になく、久保田の声の大きさは第二と諏訪の絶望感を表していました。しかしコンクールの中止は、セイコーブランドが、世界最高峰の機械式時計であることを証明することになりました。

さらにセイコーブランドは、世界を驚かす行動に出ます。コンクールに出品した時計の販売を開始したのです。しかも多くの人が、頑張れば手が届く価格でした。従来、コンクールに出品する時計は、車に例えるとF1カーのようなもので、専門家がギリギリまでセッティングして勝負に挑むスペシャルメイドでした。

F1カーが通勤用に使えないように、コンクールの時計も実用には耐えられない繊細なものでしたが、セイコーブランドはコンクールで圧倒的なスコアを叩き出しながら、一般の人が普通に使える堅牢性を持っていました。

「最高の普通」と名付けられたセイコーブランドが、高らかに全世界に発信されました。
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プロフィール

井上 毅

Author:井上 毅
はねもね
福岡県出身
東京都在住
以前やっていたブログ「はねもねの独り言」の続編です。

外資系金融機関に勤めながら、あちこちに出没しています。

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