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解説 南スーダンの混乱

南スーダンの混乱がニュースになっています。何が何だかサッパリわからないという人が多いので、簡単に解説してみることにしました。そのためには、少し歴史を紐解く必要があります。アフリカの混乱を理解するには、植民地時代にさかのぼるのが基本です。


19世紀 スーダンの北部はエジプト、南部はイギリスが支配していました。その後、エジプトとイギリスの共同統治になり、第二次大戦後も共同統治でした。この統治国の違いが、宗教に影響します。北部はエジプト支配のためイスラム教徒、南部はイギリス支配のためキリスト教徒が多くなります。

1956年にスーダン共和国として独立します。しかし北部の政治、経済統治方法に南部の不満が高まり、72年には南部の自治権が認められます。そしてスーダンを揺るがす大事件が起こりました。1974年に油田が発見されるのです。しかしその大部分は南部にありました。

83年にスーダン政府はイスラム法の導入、南部の自治権の停止、油田を独占化したため南部が蜂起して内戦になります。この内戦は97年に一応の和平協定が結ばれますが、戦闘は継続します。エジプトやリビア、油田の権益が欲しいアメリカが仲介工作を進めて、南部の独立のための住民投票を行うことでまとまりました。

2011年に住民投票で南部の独立が決定すると、南スーダン共和国が建国します。するとスーダン軍が南スーダンへの攻撃を開始して、国境戦争が始まります。このグダグダな状況を収めるために、国連が介入を決定し、日本も当時の野田内閣が自衛隊の南スーダン派遣を決定します。

スーダンと南スーダンの戦闘が続く中、今度は南スーダン内部で、最大人口を誇るディンカ族と2番目のヌエル族の対立が表面化します。ディンカ族のキール大統領が、ヌエル族のマシャール副大統領を解任して、対立が先鋭化しました。2013年にマシャール元副大統領が、クーデターを起こしますが、停戦合意が結ばれクーデターは失敗に終わります。しかし現在も戦闘は継続しています。

南スーダン内戦

南スーダンは、外部のスーダンとの戦闘を続けながら、内戦が起こっている状態です。そのため、首都ジェバで銃撃戦が起こっても、誰と誰が撃ち合っているのかわからないことが何度もありました。そのためPKOで派遣されている各国の軍にも混乱が生じることがあり、緊張状態が何年も続いています。

こうした状況下で国連の腰は重く、事態は改善されそうにありません。国際世論の一つに、南スーダンの独立は欧米の植民地政策によって、勝手に描かれた国境線を自らの手で書き換えた成功例というものがあります。そのため他国の正規軍による武力鎮圧が始まると、独立が失敗したことになるため、あくまでも平和維持活動に留めたいというのがあります。

また国連の常任理事国の多くは、南スーダンがイラクやアフガニスタン化するのを恐れています。深く介入することで、泥沼の戦争に巻き込まれたくないのです。



ここからは個人的な意見です。

南スーダンの状況は、PKOで対応できる状況を超えていると思います。軽武装の各国軍が、重武装の現地部隊に襲撃されるリスクが高まっているからです。自衛隊は南スーダンで発砲した場合、日本の法律で殺人罪が適用される可能性があるため、自衛隊法を慌てて改正して、正当防衛と緊急避難の際には発泡できるようにしました。100万人以上の死者が出ている戦地において、まさに泥縄の対応です。

国際貢献は重要で、軽視されるべきではないと思いますが、自分の身を守れないならば貢献のしようもありません。もはや自衛隊にできる範囲を超えていると思うのですが、いかがでしょうか?
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プロフィール

井上 毅

Author:井上 毅
はねもね
福岡県出身
東京都在住
以前やっていたブログ「はねもねの独り言」の続編です。

外資系金融機関に勤めながら、あちこちに出没しています。

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